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バッバ・ワトソン選手と「生涯契約」を締結
PINGは、マスターズを2度制したバッバ・ワトソン選手と「生涯契約」を締結しました。今回の契約内容は非公表となりますが、PINGとバッバ選手の良好な関係は、彼のPGAツアーキャリア以降も続くこととなります。
バッバ・ワトソン
Bubba Watson
1978年11月5日生まれ。フロリダ州バグダッド出身。ジョージア大学出身。
2001年プロ転向後、マスターズ2勝を含むPGAツアー通算12勝(2020年12月11日現在)。

PING社長ジョン・K・ソルハイムは、「私達はバッバ選手と"生涯契約"できたことに、非常に興奮しています。選手とのスポンサー契約において、生涯契約は非常に珍しいですが、バッバ選手は特別なのです。彼はその素晴らしいキャリアを通じてPINGに多大な貢献を果たしてくれましたし、私達は今がこのような形の契約を結ぶべきタイミングだと考えました。バッバ選手は、その高いゴルフスキルと創造性によって素晴らしいキャリアを築きましたが、彼の紳士的で思いやりのある人柄は間違いなくPINGにフィットしています。バッバ選手は、PINGにとってファミリー的存在であり、彼の残りのゴルフ人生を共に築けることをとてもうれしく思っています。」とコメントしています。

PINGとの出会いは8歳。
そこからバッバ選手は34年間
PING製品を使い続けている

"生涯契約"が発表された日(2020年11月5日)は、バッバ選手の42歳の誕生日。クラブをG425ドライバーG425 3番フェアウェイウッドに切り替え、直後の「マスターズ」に12回目の出場を果たしました。

バッバ選手は「私は子供の頃からPINGのクラブでゴルフをプレーしてきました。私はPINGという会社を愛しており、最高の道具を作ることに全力を尽くしている会社だと心から信じています。私のキャリアにおけるサポートに関して、創業家のソルハイムファミリーには感謝してもしきれません。PINGとソルハイムファミリーは、私のゴルフキャリアと人生において、大きな役割を果たしてくれました。そして、私の残りのゴルフキャリアをPINGの契約選手として過ごすという環境を作って頂けたことにとても感謝しています。」とコメント。

ゴルフを始めて最初に手に取ったパターがPING「B60」だったバッバ選手。彼は8歳のときにPINGのジュニアセットのアイアンを手にして以来、ずっとPINGのクラブでプレーしています。バッバ選手は、ジョージア州と北フロリダのPING営業担当者だった故・ビリー・ウィアーによって、PINGの目に留まりました。ジョージア地区PGAの生涯名誉会員でもあったウィアーは、バッバ選手の故郷で引退し、頻繁にバッバ選手とゴルフをして交流を続けていました。ウィアーはバッバ選手がフロリダ州パンハンドル近辺のジュニアイベントで勝ち始めるのを見て、ロングヒッターでレフティーのバッバ選手に特別な何かがあると感じていました。バッバ選手に注目し、その状況をPINGの現会長であるジョン・A・ソルハイムに知らせました。そして、ジョン・A・ソルハイムもバッバ選手のプレーに興味を持ち、ウィアーに対してバッバ選手のゴルフがさらに上達するために必要なサポートを行うように伝えました。

「私の親友であるビリー・ウィアーが、バッバ選手についてこれまでに見たことのないようなゴルフをする青年だと教えてくれたのを覚えています。バッバ選手はロングヒッターであるだけでなく、創造性と情熱を持ってプレーしていました。」とジョン・A・ソルハイム。「彼は本当に目立っていました。私は彼が13歳のときに初めて会い、それ以来、非常に親密な友情を築いてきました。彼は多くの点で私の父であるカーステンを思い出させます。バッバ選手は非常に創造的な思想家であり、特にマーケティングについて考える際は、彼独自のやり方で物事を行います。ピンクのシャフトとピンクのヘッドを使用してプレーするというアイデアは、彼の創造性を表す一例ですが、私たちは彼と協力することで、フェニックス・チルドレンズ・ホスピタルに対して25万ドル(約2600万円)以上を寄付することができました。」

私のキャディバッグに「PING」
という文字が入っていることは
私の誇りです

バッバ選手は、フォークナー・ステート・コミュニティ・カレッジで2年間、ジョージア大学で2年間プレーした後、2001年にプロ転向しました。プロに転向した直後にPINGと初めて契約し、ネイションワイドツアー(当時のPGA下部ツアー)でプレー。 2005年の終わりにはPGAツアーメンバーとなりました。これまでの14年間のPGAツアーのキャリアの中で、マスターズでの2勝を含む通算12勝という素晴らしい結果を残し、さらにPGAツアーのドライビングディスタンスでは5回もトップに輝いています。

「PINGと最初に契約したとき、私を家族のように扱ってくれる素晴らしい会社の契約選手になれたことに多くの幸せを感じたことを今でも覚えています。PINGのサポートがなければ、プロゴルファーになるという私の夢を叶えることができなかったかもしれません。PGAツアーで戦うとき、私のキャディバッグに"PING"と書かれていることを誇りに思います。マスターズで初めて優勝した際に『夢にまでみたマスターズでの優勝は、まだ実感が湧いていない。まだ夢の中にいるようだ』と言いましたが、残りのゴルフ人生をPINGと共に歩むことで、この言葉がさらに特別なものになるでしょう。」

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